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一年に一度の申告の季節が始まりました。
1/24岐阜北民商で「岐商連税金相談員学習会」を各民商役員を対象に開催されました。 まず「自主計算パンフ」の構成・・・自主計算から納税者の権利までしっかりわかる話を県連事務局からの説明があった。 同じく「所得計算の仕方」「申告書の作成」の大まかな説明の後、「申告書の作成」を練習問題で体験しました。答え合わせをしたら、なんと!?全員正解だった。 所得にしても社会保険料等‥控除にしても、書く場所は決まっている、計算さえ間違えなければ、私でも出来た。 ア!元会長でした。 PR |
30年ほどにまえに、私の従弟が、鍼灸院を開業した時に、待合室の長椅子が、既成の椅子では長すぎたので、名古屋の椅子屋さんで、長さを合わせた物を作り、開業祝いに兄弟で贈りました。先日法事によばれ、その椅子に座って雑談しているところに、従弟が、「クッションが凹んで座りにくいので、何処かで直してもらえないか」、と頼まれました。 あれから30年も経っているので、あの店、あるだろうか?等と心配していましたが、弟から電話で昨日直して持っていったと連絡ありました。 修理代が7千円掛かったそうでした。作った時はたしか1万2千円だった。「安すぅー」と思ったことを思い出しました。持ち込んで、あくる日には直してくれたそうです。店は、あの時と変わらずに、大きくもならず、りっぱにもならずに、あったそうです。使い込んだ道具を思い浮かべました。
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地方べつ活動交流会(6/20~21大阪市) 全国商工団体連合会51回総会から1年、小規模企業振興基本法制定を踏まえて、全自治体要請を展開し、「経営・暮らし・健康の向上」全会員調査の取り組み、安倍暴走政権の悪政を告発して、組織の拡大と強化に奮闘してきた。 昨年の沖縄県知事選、総選挙、一斉地方選挙、大阪「都構想」など全国的な政治選を戦い、安倍暴走政権を退陣に追い込むに至っていないものの、平和と民主主義を求める、世論と運動が広がりつつある。 活動交流会のテーマは「恒久平和と運動の継承発展を」。戦争法をめぐる激しいたたかいの渦中であり、今後の運動発展の跳躍台にしたいと、社会的使命への自覚も高め、お互いの苦労や努力、成果や工夫を大いにまなび合いました。 2日目の分散会において、私たち民商で取り組んだ「社会保険滞納」問題をリード発言しました。社会保障、国保の生活と健康、組織の強化と行政との交渉、高齢化と後継者問題等が発言された。 不景気、下請けいじめで体力のない業者にとっては、払いたくても払えない、とにかく保険料が高すぎる、消費税も負担になっている。 商工新聞でお馴染みの 友寄英隆先生の講演で、「中小企業の社会保険料負担への軽減処置とともに、金融面からの助成を強化すること」。は私たちの運動の目標になると思いました。 業者の高齢化、不況で仕事がなく廃業、後継者がいなくて廃業、現実の認識は同じでしたが、取り組む姿勢は二つにわかれています。 活動の活発なところは、どんどん発言をします。そうじゃないところが、発言を求められると、愚痴と言い訳になりました。 |
太平洋戦争の日々「兵士たちの姿」 保坂まさやす NHKラジオ放送のメモ 日本の兵隊は職業軍人と召集兵に大きく分けられる。 職業軍人は、13歳で陸軍幼年学校に入り18歳でそのまま仕官学校進み、原隊に戻り将校の訓練を受ける30歳前後で陸軍大学校を受ける権利を得る。将校から職業軍人といえる 召集兵は、二十歳になり兵隊検査を受けて入ってくる。 一般の兵士は、一番下が2等兵、2等兵は二十歳を過ぎて、兵隊検査をうけて兵隊になる人で、一番下で戦う兵隊で、扱いは一番下で現場に立たされて苦労する。(2等兵・1等兵・上等兵・兵長) 一番上が元帥、大将、その差はかなり歴然たるものがある。 大将と言うのは、陸軍大学校を出たエリートで、軍の中で出世して最後にたどり着くポストになる、(50代の後半から60代になる)その人たちから見れば、自分たちは指揮する、戦争政策を進める側で、実際に戦うのは下の兵隊たちである。 一般の兵士は徴兵制度で兵隊になる。 赤紙(一銭五厘)で招集された一般の兵士たちは、初日はお客様あつかいされるが、2日目からはガラッと変わって、厳しい命令、リンチ、暴力、軍そのものの一番下の階層に置かれる。 日本の軍隊は他国の軍隊と比べて強いと言われる。 自分と言うのはまったく出せないのが軍隊の特徴、考えてはいけない、とにかく命令に従え、自分と言う物をいかに出さないかと言うのが、兵隊教育であった。 この組織以外に一生懸命やる以外にない仕組みを作った。 兵士たちを縛る倫理 戦陣訓 生きて虜囚の辱めを受けず 死して罪科の汚名をのこすことなかれ 戦陣訓のもっとも有名な一説 捕虜になってはいけない、死ぬまで戦え、玉砕で最後まで戦うということになる。兵士個人の問題だけではなく家族、出身地の協同体も咎を受けるこの条文が心を縛り兵隊の玉砕につながった。兵隊だけではなく一般の人たちにも集団自決につながるようになった。 戦争が始まると軍事が主導になる。 軍事が国民の生活、国の全部が中心になり、軍事に反する事は全部潰される。国家全体が総力戦になり、兵士達に要求される物は国民全部にも要求される。 戦陣訓が兵士の心を縛り一般の国民のこころも縛った 日本の軍隊の特徴 アメリカは、教育訓練時間は階級を守るが、約束の時間が過ぎるとかなり、上官と自由に会話する。日本は24時間フルタイムで階級の差が続く、軍隊の中の自由度は、100パーセントない。 日本は、精神力で戦う、精神力至上主義。アメリカは、精神力では勝てない、物量、軍事力で決着を付ける。 合理的に物事を説明する人と精神論を解く人がいる。 昭和10年代の日本の軍人は精神論を解く人がえらくなっている。 国家の責任者は戦争のときに客観的にものを言わなければいけない、精神論ですむ問題ではない。特に指導者は精神論に傾いて物をいったら客感的事実が見えなくなってくる。東条は、最後はそうなって来た。 軍部は強気のことを言う(大本営発表) 昭和16年12月8日真珠湾攻撃には、勝った勝ったで良かったが、だんだん負けてきても客感的に見る目がなくて、どうしても、強気強気で行くわけになる。昭和19年7月サイパンが、陥落(3万人が玉砕、民間人1万人が死亡した)したが、「何これしきのこと、たいしたこと無い」と「泥水がちょっと引っ掛けられたもんだ」と言った。 東条は軍の中を代弁した。 戦陣訓を含め軍事指導者たちの考えた戦争の進め方は民間人や兵士の命を粗末に扱いすぎている。 戦陣訓は、死を強要された人達が、自分がこういうときには、死ななきゃいけないと死んでいく、家族の人たちも準じる、サイパンの民間人も準じた。兵士たちの命を国家が預かる以上、それに対して国家は責任を持たなきゃいけないのに、どうも、その責任感が希薄であった。 自由に扱っていいのだという形で、戦争を考えたのではないかと思う。 アフターケアーを、ほとんど、日本は考えていなかった。 アメリカにしてもイギリスにしても、かならず部隊の中に教戒師が付いていって、死んだ兵士たちを祈る、日本はそういう役割を果たす人がいなかった。戦争で、兵士たちをどういう風に見ていたか! 軍事指導者が幅広く人間的な発想が欠けていた。
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私の自治会長の任期も3月で終わります。
春の祭り、溝ざらえ、廃品回収、夏祭り、敬老の日、市民運動会、文化祭、神社の祭礼、など等あり、他に研修会や頭数の動員もありました。行事をするのにも会議があり役割分担もあり、時間のやりくりをしてきました。連合会長はもっと大変です毎日何かの用事あるそうですが、来年度もやる気いっぱいです。(定年退職しています。) 一年目は時間に追われて終わり、二年目にようやく地域の問題が見えてきました。 小学校の児童の減少と増える高齢者、この地域は調整区域で開発が制限されています。 この地域には、今、医者も店も無い、一軒あった食料品店も隣の地域にスーパーが出来たので、閉店してしまった。乗り合いバスも使い勝ってが悪いため、高齢者は食料難民と医療難民になっています。 小学校存続には「学区を広げる。」人口を増やすには「調整区域を外し開発を進める」食料難民と医療難民の解消に「乗り合いバスとコミバスの連係をよくする。」ですが、すぐに出来ることではない。今出来ることは、助け合いしかない。 |
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