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夕刊に I,H さん85才の「おくやみ」が載っていた。
20年ほど連絡もしていませんでした、年賀状には「近くに来た時には寄ってくれ」と、いつも書いてあったが、いつのまにか途絶えてしまいました。
私の不義理に胸が痛みました。
名古屋での木型の修業を終え、家で開業の準備をしていたころ、近くの製材所に「ヒメコマツ」を頼んだが、なんともならずに困りはてていた、そんな時に、同じ村の建具屋さんに相談をしようと行った時に、ちょうど建具用の材料を下ろしているところだった。
さっそっく「ヒメコ」頼んだところ、「とにかくいっぺんおとっぁんと来い」と言われ、父とお願いに行きました。そしてすぐに使える乾燥してある「ヒメコ」を都合してくれた恩人でした。建具、造作材が専門だったが、製材所や市場で「ヒメコ」を見つけては、金はいつでもいいからと、持ってきてくれました。私の在庫もたまり、山から大きな木も、出なくなり、取り引きは自然に無くなりました。
そのころ家の新築をする所で、大切に積んであった半端な板を、在庫整理のお手伝いで、米杉、ホウ、ケヤキ、ヒノキ、ナラ、いちい、セン、タモ、ブビンガ、アガチス、さくら、とち等、買ったのが最後だったかな、家が完成したころに訪ねたら、3階に通され、I,H さん自慢の中国製の500万もする扉が電動で開く仏壇を見せてくれました。
I、H さんはまじめな「創価学会」員で、本棚には「池田大作全集」があり、毎日お前の名前も上げてお祈りしているぞと言ってくれました。行く度に、必ず土産をくれた、(息子さんが旅行会社の添乗員をしていた)その息子さんは、今、公明党の県会議員をしていますが、一度も票を頼まれたことがなかった PR |
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